□御社殿

  現在の御社殿は、一間社流造、千鳥破風及び軒唐破風付き檜皮葺で、構造をはじめ木鼻、蟇股、手挟、欄間脇障子などの彫刻が雄大、豪壮でよく桃山時代の特徴を表しているとして、昭和6年に国宝として指定され、戦後は国指定重要文化財として保存されている。
 蟇股の向拝の彫刻は透彫で、中央は雲に龍、,裏は、向かって左は竹に虎、 裏は竹に椿、右は牡丹に唐獅子、裏は牡丹が彫られており、身舎の正面の中央には宝珠、左は恵比須、右は大黒天、東側は桐に鳳凰迦陵頻伽、西側は貝類波に蝦、後側の中央は梶の葉に筆、左右には五七桐花紋十六葉八重表菊を配している。  手挟の東は牡丹に蓮、西は菊に枇杷など多くの彫刻で飾られているが、あまり人目につかない軒唐破風の付け根にも二匹の鯉が相対しているなど、あらゆる面に細心の気配りがうかがわれる。  迦陵頻伽は梵語で極楽鳥のことであるが、人頭鳥身で仏前を飾る華鬘にももちいられ、蟇股の飾りに取り入れられたのは類例がなく、また、西側に貝類と波に蝦など珍しい飾りを配するなど地域性も考慮した精密な構想の下に建立された華麗な極彩色の社殿であったが、明治初年の神仏分離の際、すべて剥ぎ取ってしまったと言うことである。
 古老らに聞くと、国宝になる以前から左甚五郎の作った立派な社殿だからご利益があり、裸詣りをしてどの角でもよいからよいから担ぐと肩の凝りが治り、無病息災になると言い伝え、特に節分の日には大勢の人が、「どうのすみかたげよ」といいながら担いだものであるという。


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